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広島高等裁判所 昭和58年(ネ)268号 判決 1985年3月19日

主文

一  原判決中控訴人らの被控訴人に対する別紙第三目録記載の土地が中濱市五郎の遺産に属することの確認請求に関する部分を取り消す。

二  控訴人らの右請求に関する部分の訴を却下する。

三  控訴人らのその余の本件各控訴を棄却する。

四  訴訟費用中、主文第一項の取消にかかる請求部分について生じた分は第一、二審とも控訴人らの負担とし、その余の請求部分について生じた控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

控訴人らは「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する別紙第三目録記載の土地が亡中濱市五郎の遺産に属することを確認する。被控訴人は右土地について控訴人中濱ツユノに対し持分一八分の一、その余の控訴人らに対し持分各七二分の一宛の持分所有権移転登記手続をせよ。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人らの負担とする。」との判決を求めた。

第二  当事者の主張

(原審昭和五一年(ワ)第七三ないし七五号事件について)

一  請求原因

1(一)  別紙第一目録記載(一)の土地(以下、本件第一の(一)の土地という。)はもと水元一義及び中澤千嘉治の所有であつたところ、被控訴人は、昭和八年四月一五日右両名から右土地をその地上の建物(家屋番号六九一番の木造瓦葺平家建居宅一棟外附属建物。以下、旧建物という。)とともに代金一〇三六円で買い受け、同月一七日その旨の所有権移転登記を経由した。

(二)  別紙第一目録記載(三)の土地(以下、本件第一の(三)の土地という。)はもと金本佐助の所有であつたところ、被控訴人は、昭和一二年二月五日、右金本から右土地を代金一二〇円で買い受け、同日その旨の所有権移転登記を経由した。

(三)  別紙第一目録記載(二)の土地(以下、本件第一の(二)の土地といい、第一の(一)ないし(三)の土地を一括して本件第一の各土地という。)はもと出雲谷豊、中村早太郎、山本亀吉、室本菊藏の所有であつたところ、被控訴人は、昭和一四年一月一〇日右土地を岩国市旭町二丁目二七四〇番の土地とともに代金二五六円で右出雲谷・中村・山本・室本から買い受け、同日その旨の所有権移転登記を経由した。

2  控訴人中濱高明(以下、控訴人高明という。)は、昭和四九年一〇月五日ころ、本件第一の(一)、(二)の土地にまたがつて別紙第二目録記載(一)の建物(以下、本件第二の(一)の建物という。)を建築して本件第一の(一)、(二)の土地を占有し、本件第一の(二)の土地上に別紙第二目録記載(二)の建物(以下、本件第二の(二)の建物という。)を同日ころ建築して本件第一の(二)の土地を占有している。

3  控訴人中濱吉(以下、控訴人浅吉という。)は、昭和五〇年四月一〇日ころ、本件第一の(一)の土地上に別紙第二目録記載(三)ないし(五)の建物(以下、本件第二の(三)ないし(五)の建物という。)を建築して、本件第一の(一)の土地を占有している。

4  控訴人中濱幹太郎は、昭和五〇年三月二〇日ころ、本件第一の(三)の土地上に別紙第二目録記載 (六)の建物(以下、本件第二の(六)の建物という。)を建築して、本件第一の(三)の土地を占有している。

5  控訴人高明、同中濱ツユノ(以下、控訴人ツユノという。)及び同山本すみ江(以下、控訴人すみ江という。)はいずれも本件第二の(三)の建物に居住し、同(四)、(五)の各建物を使用して、本件第一の(一)の土地を占有している。

6  よつて、被控訴人は、本件各土地の所有権に基づき、

(一) 控訴人高明に対し、本件第二の(一)、(二)の各建物を収去して本件第一の(一)、(二)の土地を明け渡すことを、

(二) 控訴人浅吉に対し本件第二の(三)ないし(五)の各建物を収去して本件第一の(一)の土地を明け渡すことを、

(三) 控訴人幹太郎に対し本件第二の(六)の建物を収去して本件第一の(三)の土地を明け渡すことを、

(四) 控訴人高明、同ツユノ、同すみ江に対し本件第一の(三)ないし(五)の各建物から退去して第一の(一)の土地を明け渡すことを

それぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1のうち、本件第一の(一)の土地がもと水元一義及び中澤千嘉治の所有であつたこと、本件第一の(三)の土地がもと金本佐助の所有であつたこと、本件第一の(二)の土地がもと出雲谷豊、中村早太郎、山本亀吉、室本菊藏所有であつたことは認めるが、その余の事実は否認する。

本件第一の各土地はいずれも被控訴人の夫中濱市五郎(以下、市五郎という。)が買い受けたものであるが、税金対策等のためにその登記を被控訴人名義とし、その後市五郎はこれを長男の中濱徹次郎(以下、徹次郎という。)に贈与した。

2  同2ないし5は認める。

三  抗弁

1  仮に本件第一の各土地を買い受けたのが被控訴人であるとしても、本件第一の(一)の土地上の旧建物は、市五郎がその所有者の水元一義・中澤千嘉治から買い受けたのち、昭和一二年ころ長男の徹次郎にこれを贈与し、以来徹次郎とその家族である控訴人らにおいて昭和四九年の取りこわしまで居住使用してきたものであるから、昭和一二年ころ本件第一の各土地につき(少なくとも本件第一の(一)の土地につき)被控訴人と徹次郎との間で建物所有を目的とする使用貸借が成立したというべきである。而して、借主である徹次郎は、昭和四二年一一月一七日死亡したので、相続により、右建物をその相続人である控訴人らにおいて共有することになるとともに、右土地の使用借権を取得した。

2  仮に右主張が認められないとしても、控訴人らが旧建物を取りこわして本件第一の各土地上に本件第二の各建物を建築することについて、被控訴人は控訴人らに対し事前に承諾を与えたのであるから、昭和四九年ころ右各土地につき被控訴人と控訴人らとの間で建物所有を目的とする使用貸借契約が成立したというべきである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1のうち旧建物がもと水元及び中澤の所有であつたこと、徹次郎及びその家族が昭和一二年ころから旧建物に居住してこれを使用してきたこと、徹次郎が昭和四二年一一月一七日死亡したことは認めるが、その余は否認する。旧建物は請求原因1(一)で述べたとおり被控訴人が買い受けた。

2  同2は否認する。控訴人らは、被控訴人に無断で被控訴人名と印章を使用して、宅地転用及び建物建築の各手続をしたものである。

(原審昭和五二年(ワ)第九三号事件について)

一  請求原因

1  岩国市牛野谷三丁目六七九番(旧 山口県玖珂郡愛宕村大字牛野谷字本峠六七九番)の土地はもと市五郎の所有であつたところ、誤つて、右土地は農林省に買収され、昭和三〇年一一月一日農地法三六条により村重アキ子に売り渡された。したがつて、本来右土地は市五郎に返還されるべきものであつたが、右誤りが判明したときにはすでに右の如く第三者村重アキ子に売渡ずみであつたため、その代替地として、昭和三八年一月三日自作農創設特別措置法一六条により別紙第三目録記載の土地(以下、本件第三の土地)が市五郎に売り渡されたが、当時市五郎は死亡していたため被控訴人名義で保存登記がなされた。

2  市五郎は、昭和三四年六月二七日死亡したので、相続により、本件第三の土地について、その子である徹次郎外三名(中濱晴子は大正二年に、中濱正明は昭和二六年一〇月三一日に死亡)が一二分の一宛、その妻である被控訴人が三分の二の各持分を取得し、次いで昭和四二年一一月一七日徹次郎が死亡したので、同人の妻である控訴人ツユノが一八分の一、その子である控訴人高明、同すみ江、同幹太郎、同浅吉、同中濱昌夫、同新山宏子、同川村佳江、同中濱泰生がずれも七二分の一宛の割合で持分を取得した。

3  被控訴人は控訴人らの右持分を争つている。

4  よつて、控訴人らは、被控訴人との間で本件第三の土地が市五郎の遺産に属することの確認を求めるとともに、被

控訴人に対し、右土地につき右各持分の移転登記手続をすることを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1のうち岩国市牛野谷三丁目六七九番の土地がもと市五郎の所有であつたこと、昭和三八年一月二一日本

件第三の土地につき被控訴人名義で所有権保存登記がなされたことは認めるが、その余は争う。

2  同2のうち市五郎、晴子、正明、徹次郎が控訴人ら主張の日にそれぞれ死亡したこと及び身分関係は認めるが、そ

の余は争う。

3  同3は認める。

第三  証拠(省略)

理由

第一  原審昭和五一年(ワ)第七三ないし七五号事件について

一  本件第一の(一)の土地がもと水元一義及び中澤千嘉治の所有であつたこと、本件第一の(二)の土地がもと出雲谷豊、中村早太郎、山本亀吉及び室本菊藏の所有であつたこと、本件第一の(三)の土地がもと金本佐助の所有であつたことは当事者間に争いがない。

二  被控訴人は、本件第一の(一)ないし(三)の土地は請求原因1のとおり被控訴人が右各所有者から買い受けたものであると主張し、これに対し控訴人らは市五郎が買い受けたものであると抗争するので、以下この点について判断する。

1  成立に争いのない甲第一号証の一、二、第六号証、第一〇号証、第一四号証、第二六号証の一、二、第二七号証、乙第一号証の二によれば、(一)昭和八年四月一五日付で、水元一義及び中澤千嘉治の両名が被控訴人に対し本件第一の(一)の土地をその地上の家屋番号六九一番木造瓦葺平家建居宅外附属建物とともに代金一〇三六円で売り渡し、右代金を受領した旨の記載された売渡証書が作成され、同月一七日右売買を原因として水元及び中澤から被控訴人へ所有権移転登記が経由されていること、(二)昭和一二年二月五日付で金本佐助が被控訴人に対し本件第一の(三)の土地を代金一二〇円で売り渡し、右代金を受領した旨の記載された売渡証書が作成されていること、そして同日右売買を原因として金本から被控訴人へ所有権移転登記が経由されていること、(三)昭和一四年一月一〇日付で出雲谷豊、中村早太郎、山本亀吉、室本菊藏の四名が被控訴人に対し本件第一の(二)の土地及び岩国市旭町二丁目二七四〇番の土地を代金二五六円で売り渡し、右代金を受領した旨の記載された売渡証書が作成されていること、そして、同月一六日同日売買を原因として右出雲谷ら四名から被控訴人へ所有権移転登記が経由されていることが認められ、右認定に反する証拠はない。そこで、右認定事実によれば、本件第一の(一)ないし(三)の土地を買い受けてその所有権を取得したのは、特段の事情がない限り被控訴人であると認めるのが相当である。

2  もつとも、成立に争いのない乙第一二ないし一六号証の各一、二、第一七号証の一ないし三、第一八号証、第一九ないし二四号証の各一、二、第二七、二八号証の各一、二、第三一号証、第三三ないし三五号証の各一、二、第三六号証、第三七号証の一、二、第三八号証、第三九、四〇号証の各一、二、原審及び当審における証人星野房子の証言、同控訴人ツユノ本人尋問の結果、原審における被控訴人本人尋問の結果(第一、二回)によれば、被控訴人の夫市五郎は大正一二年から昭和一八年にかけて合計二五筆の土地及び地上の建物を働いて得た収入で買い受けあるいは競落し、これらの不動産につき、市五郎名義で登記を経由したほか、二筆を長男中濱徹次郎の、三筆を二男中濱正明の、三筆を長女中濱靖子の、三筆を三女星野房子の各名義とし、また岩国市岩国一丁目二八八番三宅地八二・六四平方メートル、同所一六一番宅地五九・五〇平方メートル及び同市川西二丁目八四六番田六・八九平方メートルの三筆を妻である被控訴人の名義としたことが認められ、右事実によれば、昭和八年、昭和一〇年及び昭和一二年になされた本件第一の各土地の売買も市五郎が被控訴人名義を利用してなしたのではないかと考えられないではない。

しかしながら、本件第一の(一)ないし(三)の各土地の売買契約については、前記認定のとおり被控訴人を買主とする売渡証書が作成され、その旨の所有権移転登記が経由されているうえ、原審における被控訴人本人尋問の結果(第二、三回)により成立の認められる甲第一二、一三号証、第一六、一七号証、原審における被控訴人本人尋問の結果(第一ないし三回)によれば、被控訴人の実母マサは佐川家に後妻として嫁いだが、先妻の子と折り合いが悪く、所持金が先妻の子にいくことを嫌つていたため、実子である被控訴人、久保ヤス、上田ウタの三名に一五〇〇円宛分け与えたこと、被控訴人は、この一五〇〇円を本件第一の各土地、二七四〇番の土地及び旧建物の売買代金支払に当てたことが認められるから、大正一二年かにら昭和一八年にかけて市五郎が子供や妻の名義を利用して他に多くの不動産を取得していたことがあるという事実をもつて、さきに認定した事実を覆すに足るものとみることはできない。したがつてまた、原審及び当審における控訴人ツユノ、同高明並びに原審における控訴人幹太郎、同浅吉の各本人尋問の結果中本件第一の(一)ないし(三)の各土地は市五郎が被控訴人の名義を利用してこれを買い受けたものであるとの供述部分はたやすく措信できない。

なお、前記甲第一二、一三号証、第一六、一七号証の成立について、原審における証人上田千代子、同正田マサノの各証言中はこれを否定する供述部分があるが、鑑定の結果によれば、甲第一六号証のうち上田千代子署名部分の筆跡は同人が署名した宣誓書及び証人出頭状況控書の署名部分の筆跡と同一であることが認められることに照らし、証人上田の甲第一六号証に関する右供述部分はたやすく措信できず、したがつてまた同証人の甲第一七号証に関する供述部分も措信できない。また、証人正田の甲第一二、一三号証に関する供述部分は、同証人の証言自体信ぴょう性に疑問があるうえ、原審における被控訴人本人尋問の結果(第二、三回)に照らし措信できない。

三  控訴人高明が昭和四九年一〇月五日ころ、本件第一の(一)、(二)の土地にまたがつて本件第二の(一)の建物を、本件第一の(二)の土地上に本件第二の(二)の建物を各建築して、本件第一の(一)、(二)の土地を占有していること、控訴人浅吉が昭和五〇年四月一〇日ころ本件第一の(一)の土地上に本件第二の(三)ないし(五)の各建物を建築して本件第一の(一)の土地を占有していること、控訴人幹太郎が昭和五〇年三月二〇日ころ本件第一の(三)の土地上に本件第二の(六)の建物を建築して右土地を占有していること、控訴人高明、同ツユノ、同すみ江が本件第二の(三)の建物に居住し、同(四)、(五)の各建物を使用して、本件第一の(一)の土地を占有していることは当事者間に争いがない。

四  抗弁について順次判断する。

1  まず、抗弁1についてみるに、旧建物がもと水元一義、中澤千嘉治の所有であつたことは当事者間に争いがないところ、控訴人らは、旧建物について市五郎がこれを買い受け、昭和一二年ころ徹次郎に贈与したと主張し、原審及び当審における控訴人ツユノ、同控訴人高明、原審における控訴人幹太郎、同控訴人浅吉の各本人尋問の結果中には右主張に沿う供述部分があるが、前記二に判示したところから、右供述部分はたやすく措信できず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

かえつて、前記二の認定事実によれば、昭和八年四月一五日旧建物を買い受けて、その所有権を取得したのはその敷地の買主と同様被控訴人であつて、市五郎ではないことが認められる。なお、前記甲第一四号証、乙第一号証の二、成立に争いのない乙第一号証の一によれば、家屋番号六九一番の旧建物について家屋番号三四三番で重複登記がなされ、その表示の登記は市五郎名義となつていることが認められるが、このことが右認定の妨げとなるものではない。

そして、成立に争いのない乙第四二号証の一ないし三、第四四号証の一、原審及び当審における証人星野房子の証言、同控訴人ツユノ本人尋問の結果(後記措信しない部分を除く。)によれば、被控訴人と市五郎は明治四〇年四月一日婚姻し、岩国市岩国二丁目一六番二五号の本家に居住し、大正八年一二月二六日市五郎は中濱英子から家督相続して戸主となつたこと、市五郎の長男徹次郎は昭和六年八月一五日控訴人ツユノと婚姻したが、市五郎は控訴人ツユノの行状を嫌つて徹次郎夫婦と折り合いが悪く、同夫婦を本家から遠ざけようとして、岩国市旭町二丁目六番八号(本件第一の(一)の土地)にある被控訴人所有の旧建物に移り住むよう指示し、徹次郎は、昭和一二年ころ、妻子とともに旧建物へ引つ越し、以来徹次郎とその家族は、旧建物が取りこわされた昭和四九年一〇月ころまで旧建物に居住して無償でこれを使用してきたこと、被控訴人も右使用についてはこれを承諾していたことが認められ、原審及び当審における控訴人ツユノの本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信しない。

以上の認定事実のもとでは、控訴人らが主張するような本件第一の各土地についての使用貸借が成立したとは到底認められず、旧建物について昭和一二年ころ被控訴人と徹次郎との間に徹次郎一家の居住を目的とした使用貸借契約の成立を認めうるにすぎない。(なお、右使用貸借により徹次郎が旧建物の敷地(本件第一の(一)の土地)について旧建物居住の目的の範囲内でこれを使用する権限を有することはいうまでもないが、それは旧建物の使用借権に従たるものとして有するにすぎず、旧建物の借主である徹次郎は昭和四二年一一月一七日死亡した(この点は当事者間に争いがない。なお、昭和四九年一〇月には後記認定のとおり旧建物は取りこわされて滅失した。)のであるから、旧建物についての前記使用貸借は徹次郎の死亡時に(遅くとも右滅失時に)終了したものというべく、これとともに敷地についての使用権限も消滅したものといわなければならない。)。

そして、他に控訴人ら主張の使用貸借の成立を認めるに足る証拠はなく、したがつて抗弁1は理由がない。

2  控訴人らは、抗弁2において被控訴人が旧建物を取りこわして本件第一の各土地上に本件第二の各建物を建築することにつき事前に承諾を与えたと主張し、原審及び当審における控訴人高明、同ツユノ並びに原審における控訴人幹太郎、同浅吉各本人尋問の結果中には右主張に沿う供述部分があり、甲第五号証はこれを裏付けるかのごとくである。

しかしながら、前記乙第三三号証の一、二、成立に争いのない乙第四二号証の二、第四四号証の一、第五〇号証、原審及び当審における証人星野房子の証言、同控訴人ツユノ、同控訴人各本人尋問の結果、原審における被控訴人(第一回)、同控訴人幹太郎、同控訴人浅吉各本人尋問の結果によれば、昭和三四年六月二七日市五郎が死亡した後、その遺産をめぐつて、被控訴人の長男徹次郎と被控訴人及びその長女中濱靖子、同三女星野房子らとの間で争いが起き、昭和三八年一〇月から山口家庭裁判所岩国支部において遺産分割の調停が行われ、昭和四二年一一月一七日徹次郎死亡後はその相続人である控訴人らと被控訴人外右二名との間で調停が行われてきたが、当事者間に合意が成立する見込みは全くなく、調停は取下げられ、遺産分割が行われないままの状況が続き、昭和四九年当時の右当事者双方の関係はこじれていたこと、昭和四九年七月六日被控訴人が公正証書によつて遺言書を作成したことを察知した控訴人高明、同幹太郎は被控訴人に迫つてこれを撤回させようとしたこと、しかし被控訴人はこれに応じなかつたこと、右遺言の内容は被控訴人が本件各土地について三女星野房子らに遺贈するというものであつたこと、その後昭和五〇年になつて控訴人高明は、被控訴人を相手方として被控訴人名義の本件第三の土地につき所有権確認の調停を山口家庭裁判所岩国支部に申し立てたこと、さらに昭和五一年五月一九日には中濱靖子の居住する土地・建物を控訴人高明が中心となつて第三者の福村弘志に売却したことが認められ、右認定に反する証拠はなく、右認定事実に照らすと、控訴人らの前記供述部分はたやすく措信できない。

そして、また甲第五号証については、原審における控訴人高明本人尋問の結果によれば、控訴人高明がこれを作成して被控訴人名を記入し、その名下に自分が所持する中濱印を押捺したことが認められるところ、右認定事実のもとでは、これが被控訴人の承諾に基づくものとは到底認められない。

かえつて、前記争いのない事実、認定事実、前記甲第二号証、成立に争いのない乙第一号証の一、原審及び当審における証人星野房子の証言、原審における被控訴人本人尋問の結果(第一回)、原審及び当審における控訴人高明本人尋問の結果(前記措信しない部分を除く。)によれば、控訴人高明は、同幹太郎とともに被控訴人に前記遺言の撤回を迫つたものの、被控訴人がこれに応じなかつたので、昭和四九年七月二〇日、被控訴人に無断で、前認定のとおり本件第一の(二)、(三)の各土地につき農地法五条一項三号の規定による農地使用貸借設定の旨の届出書(甲第五号証)を作成して、これを山口県知事宛に提出し、同月二二日ころ受理されたこと、そして、被控訴人に無断で、同年一〇月ころ、被控訴人所有の旧建物を取りこわしたうえ、前記のとおり控訴人高明において同年一〇月五日ころ本件第二の(一)、(二)の建物を、控訴人幹太郎において昭和五〇年三月二〇日ころ本件第二の(六)の建物を、控訴人浅吉において同年四月一〇日ころ本件第二の(三)ないし(五)の建物をそれぞれ新築したこと、被控訴人は、昭和五一年六月になつて初めてこれらの事実を知り、同年八月本訴を提起するに至つたことが認められる。したがつて、抗弁2も理由がない。

3  以上のとおりであるから、被控訴人が控訴人高明に対し本件第二の(一)、(二)の各建物を収去して本件第一の(一)、(二)の土地を明け渡すことを、控訴人浅吉に対し本件第二の(三)ないし(五)の建物を収去して本件第一の(一)の土地を明け渡すことを、控訴人幹太郎に対し本件第二の(六)の建物を収去して本件第一の(三)の土地を明け渡すことを、控訴人高明、同ツユノ、同すみ江に対し本件第一の(三)ないし(五)の各建物から退去して第一の(一)の土地を明け渡すことを求める各請求はいずれも理由があるから認容すべきである。

第二  原審昭和五二年(ワ)第九三号事件について

一  本件第三の土地が市五郎の遺産に属することの確認請求について検討する。

控訴人らの主張によれば、本件第三の土地は市五郎が生前自作農創設特別措置法一六条により売渡を受けたものであるから、市五郎の遺産に属するところ、被控訴人においてこれを争うので、被控訴人との間で本件第三の土地が市五郎の遺産に属することの確認を求めるというにある。

ところで、遺産に属することというのはその財産が相続開始時に被相続人の所有に属していたことであるから、その確認の訴は形式上は過去の法律関係の確認を求めるものであるようにみえるが、その実質はその財産が相続による共同所有の状態にあるという現在の法律関係の確認を求めていると解されるから、かかる確認を求めるにつき法律上の利益を有するときは適法として許容される。そして、かかる確認の訴はその財産についての共同所有関係を審判の対象とするものであるから、共同相続人の全員につき合一に確定すべき固有必要的共同訴訟と解すべきである。

これを本件についてみるに、前記乙第四二号証の一ないし三、第四四号証の一、成立に争いのない乙第四三号証の一、二、第四四号証の二ないし七、第四五ないし四七号証によれば、現在における市五郎の共同相続人には被控訴人及び被控訴人らのほかに、訴外の長女中濱靖子、三女星野房子、養女藤崎幸子がいることが認められるから、本訴は市五郎の共同相続人の全員によつて訴訟追行されていないものといわなければならない。そうすると、控訴人らが被控訴人との間で本件第三の土地が市五郎の遺産であることの確認を求める請求の訴はこの点において不適法であつて、却下を免れない。

二  次に、控訴人らの本件土地についての持分移転登記請求について検討する。

岩国市牛野谷三丁目六七九番の土地について、これがもと市五郎の所有であつたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第四八号証の一、二、によれば、右六七九番の土地は、昭和三七年二月一九日、昭和一九年一二月二八日買収を原因として市五郎から大蔵省へ所有権移転登記が経由されたのち、大蔵省から農林省に所管替えされ、昭和三八年一月二一日農林省による所有権保存登記がなされたうえ、同月二五日、昭和三〇年一一月一日農地法三六条の規定による売渡を原因として村重アキ子に所有権移転登記がなされたことが認められる。他方、本件第三の土地について、昭和三八年一月二一日被控訴人名義で所有権保存登記がなされたことは当事者間に争いがない。

而して、控訴人らは、右六七九番の土地の買収は誤つてなされた不当のものであり、その代替地として、本件第三の土地が右六七九番のもと所有者であつた市五郎に売渡された旨主張し、原審及び当審における控訴人ツユノ、同控訴人高明、原審における控訴人幹太郎、同控訴人浅吉の各本人尋問の結果中には右主張に沿い、又は沿うかのごとき口吻の部分があるが、これを裏付ける証拠はないのみならず、原審における証人星野房子の証言によれば、本件第三の土地は終戦後昭和四五年ころまで被控訴人が耕作していたことが認められるところ、成立に争いがない甲第一八号証、乙第四一号証によれば、山口県知事により昭和三八年一月二一日付で土地所有権保存登記嘱託書が作成され、その内容は、本件第三の土地につき、所有者を被控訴人として、自作農創設特別措置法一六条の規定により政府が未登記の右土地を売り渡したので、登記の嘱託をする旨のものであり、これに基づいて同日前記のとおり被控訴人名義の所有権保存登記がなされたことが認められることに照らし、右供述部分はたやすく措信できない。したがつてまた、成立に争いのない乙第四九号証の一ないし三によれば、昭和四三年八月から一一月にかけての遺産分割の調停の席上被控訴人は本件第三の土地が市五郎の遺産に属することを争わず、これを認めていたことが認められるものの、その一事をもつて、控訴人らの前記主張事実を推認することは相当でなく、他にこれを認めるに足る的確な証拠はない。

かえつて、前記認定事実によれば、本件第三の土地は、被控訴人が終戦以後続けてこれを耕作してきたことから、政府が自作農創設特別措置法一六条により市五郎死亡後の昭和三八年一月ころ被控訴人に売り渡したものであると推定するのが相当である。

そうすると、控訴人らの本件第三の土地についての持分移転登記請求はその余の点について判断するまでもなく理由がなく、棄却すべきである。

第三  結論

よつて、原判決中、控訴人らの被控訴人に対する本件第三の土地が市五郎の遺産に属することの確認請求を棄却した部分は失当であるから、職権をもつてこれを取り消して、右請求に関する部分の訴を却下することとし、原判決中、被控訴人の控訴人高明、同浅吉、同幹太郎、同ツユノ、同すみ江に対する請求を認容した部分及び控訴人らの被控訴人に対する持分移転登記請求を棄却した部分は相当であつて、控訴人らの右部分の控訴は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法九五条、九六条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

第一目録

(一) 岩国市旭町二丁目二七三六番

宅地 三五七・〇二平方メートル

(二) 岩国市旭町二丁目二七三九番

畑 七六〇平方メートル

(三) 岩国市旭町二丁目二七三五番

宅地 二三八平方メートル

第二目録

(一) 岩国市旭町二丁目二七三六番地、二七三九番地

家屋番号 二七三九番

木造ルーフイング葺平家建居宅一棟 四九・六八平方メートル

(二) 岩国市旭町二丁目二七三九番地

未登記ガレージ一棟 四八平方メートル

(三) 岩国市旭町二丁目二七三六番地

家屋番号 二七三六番

木造瓦葺平家建居宅一棟 八八・三六平方メートル

(四) 同所

未登記建物一棟 一〇・〇三平方メートル

(五) 同所

未登記建物一棟 一〇・〇三平方メートル

(六) 岩国市旭町二丁目二七三五番地

家屋番号 二七三五番

木造スレート瓦葺平家建一棟 七九・九三平方メートル

第三目録

岩国市牛野谷町三丁目九〇三番

⑤判決

畑 九七六平方メートル

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